批判する位なら自分を磨けよ。アスリートの意識レベル(羽生結弦)

世の中には、「批判」が充満しています。

少しでも、人が良いことがあれば、批判します。

特にネット社会の現在、顔が見えない分、酷いものになっています。

「批判」の多くは、一般的に妬みや嫉妬、自分より優遇及び、優秀な人に対してされます。

本人がどんなに良い事をしたり、評価されるべきことをしても、すべてが褒め称えてくれるわけではありません。

ここ最近の事なら、フィギア男子の「羽生結弦」選手の怪我しながらでの「銀メダル」をとったことに関してなども色々と言われていますね。

もちろん、人それぞれの考え方があるので、すべてが同じになる必要もないのですが、今回を例にすると、大けがをしながら、それを押しのけてフリーに出場し演技をこなすこと。

これは、もちろん凄いことだと思います。

普通に考えて、車の速度並みに勢いついて、衝突し脳震盪まで起こして、1分前後立てない状況からの試合にのぞむ事は、無謀極まりないです。

ただ、これは一般的な人の考え方。

アスリート及び、オリンピックで金メダルを獲得る方々になると、一般の方では思考が到底回らない位の意識レベルの高さがあります。

「プライド」や「集大成」などの考え方もあるでしょうが、フィギアのスポーツは、一般のスポーツと異なり、蹴落としあったり、競い合ったり、比較するものスポーツ等とは少し違うと考えられます。

あえて言うなら、対戦相手は「自分自身」と言うだけなので、言い方を悪くすると「自己満足」なのですが、自分でどれだけ納得がいくものが出来るのかという事でしょう。

もちろん、ファン(応援してくれる)の方々の為なども、あるでしょうが、基本的には自分の世界観ではないかと思います。

ようは、批判する人たちは、その領域に無断で踏み入りけなしているのです。

人によっては「人気取りの為」「よく見せようとするため」「普通は出るべきではなかった」その他もろもろ・・・・。

ようは、人気取りであそこまで、批判した人間は、同じ事が出来るのか?

棄権すれば良いのに等を気楽に言っている人は、本当に身体の事を心配していっているのか?

本人が、その試合までにどれだけの努力を積み重ねてきているのか知っているのか?

口だけは、まともな正論を言ってそうな、人物は多々いるようですが、本人の意識レベルで話していないのではないでしょうか。

ショックな事に、スポーツ界で結構上に立つ人まで、批判するとは、どういう事だろうかね。

誰とは言いませんが、スポーツのコメンテーターがよくできるなとあきれかえりました。

もちろん、あの場は普通に考えれば棄権すべきでした。

が、止める権利は、誰もありません。

自分自身が、身体の事は一番わかっているでしょうし、アスリートとして怪我で予後不良などになってしまった場合に関しても、スポーツの世界ではよくあることなのです。

多少、運などもあるでしょうし、自己管理の面もありますが、怪我ともどう付き合っていくかも、アスリートとしても重要な事なのです。

まあ、海外からは、フリーで5回も転んで、「銀メダル」はおかしいだろう?という批判も多々あるようですが、本来フィギアのスポーツ自体「が見せる表現力」も採点の一つである事は当然であり、十二分に評価すべき点かと思います。

こんな事を言いうと「包帯巻いて試合に出た方が良いのか?」なんて阿呆な意見も出るでしょうが、そのあたりは無視しましょう。

批判を言うのは、人間なんで結構なのですが、せめて本人の意識レベルに到達するか理解できるレベルになってから、批判すれば、問題ありません。

子供的な言い方をすれば、「出来ないのに言うんじゃないよ」と言うわけですね。

まあ、世の中、ネット社会で「顔も個人」も分からないから批判し放題でしょうが、そんな小さい人間に成り下がるくらいなら、まだ若干19歳の若者を見習って精進すべきかと思います。

この文章を書いている筆者も偉そうに書いていますが、当然、意識レベルはそんなところには、到達は出来ていません。

だから、至らない批判はしないし出来ません。

羽生選手のあの数分間の行動は、世界に大変素晴らしい感動を与えたと思います。

ただ、もちろん結果論として大事に至っていないからこそ、言える言葉ではありますが、もしあれで、何かしら問題になっていれば、止めなかっただ、無謀だっただ、その他もろもろ言われて、責任のなすりつけあいがあったのではないかと思います。

結果よければすべてよしではありませんが、一般的な取り方で「大事に至っていなく」「銀メダルも取れた」「人気も更に上がった」というとり方などになってくるでしょうが、それは人それぞれなので、今更いう事ではありません。

筆者も別に何か関わりあるとかは、まったくありませんが、スポーツをやっているものとしてアスリートの気持ちは十分理解できているつもりです。

まあ、あえて言うなら、「批判」を言いたいなら、正面切って「論理的」に物事を言ってほしい。

批判する事は、決して悪い事ではありません。

批判などがなければ、問題提起や解決への道しるべ等も出来ないからです。

ようは、ここ最近「批判」のレベルがひど過ぎる。

昔はこんなにひどくなかったでしょう。

ネット社会が拍車をかけているでしょうが、内容が「どす黒過ぎる」内容が多すぎる。

聞いたり見たりしていい気分になることは決してない。

もちろん、同意見などだったら、考え方も違うでしょうが、明らかに「批判」の中傷レベルがひどすぎる。

世の中、頑張っている人がたくさんいます。

羽生選手のように、世界に感動を与える人もいます。

そんな人を妬んではいけません。

考えるなら、その人以上の事をしよう!位考えてください。

そんな人を陥れることばかり考えずに、違うことに脳みそを使いましょうね。

きっと、自分の為になると思いますよ。

別にスポーツをする事がすべてではないので、何か一生懸命になれるものだったら何でもいいと思います。

 

筆者はこれからも「羽生結弦」選手の活躍を楽しみにしております。




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