幼児期の子供に対しての教育は、それぞれ考えがあると思います。
はたまた、分からないからこちらのページを探されているように、「分からない」という意見が多いことでしょう。
一番多い傾向で行くと、
「自分は出来たから、自分の子供でもできるだろう」
という考えの方が多いです。
ただし、そこで欲求が止まればまだマシなのですが、やはり自分以上になってほしいと思うのが「親心」と思います。
この考えが悪いと言う事は、全くありません。
むしろ、志を大きく持つ事は、すごく大切なことです。
しかし、よく聞く話では、そういった縛り付けの教育により「感性の豊かさ」が無くなる子供が増えてきていることも否定はできません。
どういうことか?
簡単に言うと
「やさせる教育」
というものになってきているのです。
言われた事には忠実に実行し、それ以外に関してはしない。
プラスアルファに関しては考えもしない意識思考になってしまう傾向があります。
ようは指示がないと何もできないようになるという事ですね。
以前、流行った「ゆとりちゃん」と呼ばれているのが、この代表例でしょうね。
「やらせる教育」に関しては、すべてが失敗するというわけではありませんが、調整が難しいのです。
この「調整」の範囲をどう考えるかです。
幼児期なので、すべて放置主義で自立性を求めると言うのは、愛情を感じなくなり、これまた感情表現のうまくできない大人に育ってしまう恐れもあります。
どうしたらいいのでしょう?
教育なので、「やらせる事」「叱る事」はすごく大切です。
ようは比率の問題です。
平たく言えば、「飴と鞭」ですね。
そんなに小難しく考える必要はないのです。
ようは、「ちょっと言い過ぎたかな?」と意識したら柔らかく対応するだけの話。
その対応により、子供の感情が±0当たりになったと想定したら、また開始の繰り返し。
ただ、子供たちのそれぞれ感情意識レベルというものがありますので、親が勝手に決める想定レベルを定めてはいけません。
基本的には2~3割増しで「飴」の方を重視して下さい。
ようは、この文章だけ読んでいれば、ちょっと叱ってやらせて、後はおだてるという風にとられる方もいるでしょうが、そうではないです。
幼児期と言っても、感情レベルもしっかりしていますし、記憶もしっかりとします。
考え方を変えてもらう事として、
「子供に教育をするのではなく、子供の事を知る為に、親が子供の事を勉強しなくてはなりません」
上文で述べたように、親の勝手な思い込みで子供のレベルを決めつけてはいけません。
基本的に「論理的」に分析しないといけません。
勝手に
この子は運動はダメだろ?
この子は覚えが悪いだろ?
と決めつけたり、
普通できるだろ?
他の子は出来るなら出来るだろ?
などと
”何も根拠がない”のにこういったセリフが浮かぶ事は論外なのです!
当然、親なので「子供の可能性」を導き出す事が大切です。
ただ、そこで綺麗なレールを引いてあげる事とは違います。
自立性を求める教育に関しても、最後の最後には「親」に頼れる環境と繋がりを持つ必要があります。
そういうつながりを持つには「子供の事をもっと知る必要があります」
「知っているつもり」ではダメです。
「根拠」があってこそ、論理的に向き合えるわけです。
子供の事を知れば知るほど、そこから見えてくるものがあるはずです。
当然ですが、親子といえ、すべてをオープンにして物事をさらけ出す事は、基本的に難しいと考えます。
それが人間というものであり、個の人格と感性を持ち合わせているのですから当然です。
この文章を読んでいるあなたも「親」に自分のすべてをお話しできている人なんてそうはいないと思います。
思い込みレベルで「自分は出来ている」などと思っている人はいるかもしれませんが、大半は不可能に近いのです。
それ位、人間の感情や意識思考の繋がりは難しいのです。
すべてを知ろうなん欲を出す必要はないです。
子供たちから、うまく引き出す事も、親のスキルではないでしょうか?
引き出せないようでしたら、まだ、子供の事を理解していないと自覚しましょう。
やらせる教育・自立性を求める教育とその他いろいろあるでしょうが、基本的に
「子供の事をしっかり根拠に基づいて理解した」
という前提で物事を進めていきましょう。
勝手な親の思い込みなどで、子供の感情や才能をつぶしてはいけません。
親が勉強しないといけないのです。
子供の事をしっかり見て、話して、触れ合って、勉強しないといけません。
もちろん、勉強というと堅苦しいでしょう。
ようは、こういったことが自然に出来ることが理想的かと思います。
子供は知れば知るほど、面白いものが発見されると思いますので、是非、良いものを発見してください。
そして、良き教育をしてくださいませ。
子供の可能性は、親が子供をどれだけ理解できるかにかかってると思います。